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それは彼女の罪なのか

 何らかの理由で、情緒や感性といったものが育まれないまま彼女は成長してきたのだろう。

 しかしそれは彼女の罪なのだろうか。

 殺人の償いはすべきだが情緒や感性の欠落そのものを責めることは誰にも出来ないのではないだろうか。

 「被害者や遺族の気持ちを考えてもそんなことが言えるのか」

 「自分や自分の大切な人が被害に遭ってもそんなことが言えるのか」

という声は容易に想像出来る。

 想像でしか言えないが、自分や自分の大切な人が殺されたとしても、やはりオレは 「彼女に情緒や感性が欠けているのは彼女の責任ではない」 と思うだろう。

 「今は想像しているだけだからそう言えるが、実際に被害に遭ったら考えが変わるはずだ」 と言われたら返す言葉はない。

 実際に、オレの考えは変わるかも知れない。

 彼女の精神は正常ではないのだろうが、人を殺すことは罪であるという知識と、人を殺したらどうなるかという認識力や想像力はあるだろう。

 だから彼女の殺人という行為は責められて然るべきだ。

 しかし、彼女の殺人という行為ではなく、彼女の異常な人格を攻撃するのは筋違いではないかと思う。

 彼女が演技をしているのでなければ、彼女の精神は障害あるいは病気なのだから。

 おそらく彼女が望んでああいう人格になったわけではないだろう。

 それでも彼女の人格を責めることは正しいことなのだろうか。

 彼女のような人格は希ではあるが他にも存在しうる。

 彼女がこの世に産まれる前から 「サイコパス」 という言葉が世の中に存在していたことがその査証だ。

 彼女に罪の償いをさせると共に社会がしなければならないことは、いたずらに彼女の人格を忌み嫌い罵ることではなく、どういう理由や原因で彼女のような人格が生まれるのか、彼女のような人格の人間に罪を起こさせないようにするにはどうしたら良いのか、を考えることではないかと思う。

 出来るだけこれ以上犠牲者を出さないために。

 罪の意識なく罪を犯す人間を増やさないために。

 「サイコパス」 と彼女を罵る言葉が悲しい。

■遺族の悲しみ「驚いた」 元少女タリウム事件裁判

(朝日新聞デジタル - 03月07日 16:00)